米倉 忠仰(よねくら ただすけ)は、江戸時代中期の大名。下野国皆川藩4代藩主、武蔵国六浦藩(金沢藩)初代藩主。六浦藩米倉家4代。官位は従五位下・丹後守、主計頭。

生涯

宝永3年(1706年)2月1日、5代将軍・徳川綱吉に側用人として仕えた柳沢吉保の六男として誕生(一説には四男とされているが、四男は柳沢経隆)。

宝永7年(1710年)7月18日、皆川藩3代藩主・米倉昌照の養子となり、正徳2年(1712年)に昌照が死去したために跡を継いだ。

享保元年(1716年)9月1日、8代将軍・徳川吉宗に拝謁し、享保5年(1720年)12月18日に叙任する。享保7年(1722年)7月27日に六浦(金沢)へ移封となる。

享保20年(1735年)閏3月23日、出仕停止を命じられる。病床にあった忠仰は、長男・里矩の年齢を3歳から9歳に修正する報告を行った。幕府はこれを咎めたのである。実は虚偽の報告であり、忠仰死後に判明することになる。同年4月8日、死去。享年30。

跡を里矩が継ぐが、生前に忠仰が里矩の年齢を詐称していたことから、お家騒動が起こった。

系譜

父母

  • 柳沢吉保(実父)
  • 片山氏 ー 側室(実母)
  • 米倉昌照(養父)

正室

  • 本多忠直の娘

側室

  • 香雲院 ー 堀井氏

子女

  • 米倉里矩(長男)生母は香雲院(側室)



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