初代イーリー侯爵チャールズ・トッテナム・ロフタス(英語: Charles Tottenham Loftus, 1st Marquess of Ely 、1738年1月23日 – 1806年3月22日)は、アイルランド王国の貴族、政治家。

生涯

ジョン・トッテナム(1780年12月18日、準男爵に叙爵)とエリザベス・ロフタス(Elizabeth Loftus、1747年6月没、初代ロフタス子爵ニコラス・ロフタスの娘)の息子として、1738年1月23日に生まれた。1759年にダブリン大学トリニティ・カレッジでB.A.の学位を修得した。

1770年12月12日に第50歩兵連隊の大尉になったほか、1761年から1776年までクロンマインズ選挙区の、1776年から1783年までフェサード選挙区の、1783年から1785年までウェックスフォード・バラ選挙区の代表としてアイルランド庶民院議員を務めた。議会ではトーリー党に属した。また、1783年に母方の叔父にあたる初代イーリー伯爵ヘンリー・ロフタスが死去すると、その遺産を継承するとともに姓をロフタスに改めた。同1783年7月12日、アイルランド枢密院の枢密顧問官に任命された。

1785年6月28日、ロフタス・ホールのロフタス男爵(アイルランド貴族)に叙された後、1786年12月29日に父の死去に伴い準男爵の爵位を継承した。その後、1789年よりアイルランド郵政長官を務め、同年12月28日にイーリーのロフタス子爵(アイルランド貴族)に叙された。さらに1794年3月2日にイーリー伯爵(アイルランド貴族)に叙され、同年12月12日に聖パトリック勲章を授与された。グレートブリテン及びアイルランド連合王国の成立日である1801年1月1日、イーリー侯爵(アイルランド貴族)に叙され、19日にはロング・ロフタスのロフタス男爵(連合王国貴族)に叙された。

1806年3月22日にダブリンで死去、長男ジョンが爵位を継承した。

家族

1766年6月23日、ジェーン・マイヒル(Jane Myhill、1807年2月21日没、ロバート・マイヒルの長女)と結婚、下記の子女を儲けた。

  • ジョン(1770年 – 1845年) - 第2代イーリー侯爵
  • ロバート(1773年 – 1850年) - 国教会の聖職者

脚注

外部リンク

  • Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Charles Loftus(英語)
  • "チャールズ・ロフタスの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.

チャールズ皇太子、末息子ハリーに「打ちのめされた」。|Culture|madameFIGARO.jp(フィガロジャポン)

ロイヤル・チャールズ HMS Royal Charles JapaneseClass.jp

チャールズ皇太子の幼少期、エリザベス女王の指示を拒否してクビになったナニーがいた(Harper's BAZAAR(バザー))

チャールズ1世の超お気に入り画家ヴァン・ダイクが描いた王室絵画を紹介! アートをめぐるおもち

チャールズ国王の初演説の映像に隠れていた「エリザベス女王の思い出の品」に胸がぎゅっとなる FRONTROW