CDサスキ=バスコニアSAD(Club Deportivo Saski-Baskonia, S.A.D.)は、スペイン・バスク州アラバ県ビトリア=ガステイスに本拠地を置くプロバスケットボールチーム。バスク州の銀行であるラボラル・クチャがスポンサーであり、スポンサーネームはラボラル・クチャ・ビトリア(Laboral Kutxa Vitoria)。リーガACB(リーガ・エンデサ)に所属している。
2004-05シーズンからは4シーズン連続で、ユーロリーグのファイナル4に進出している。2004-05シーズンは決勝でイスラエルのマッカビ・テルアビブBCに敗れ、2005-06シーズンは準決勝でマッカビ・テルアビブに敗れ、2006-07シーズンは準決勝でギリシャのパナシナイコスBCに敗れ、2007-08シーズンは準決勝でロシアのPBC CSKAモスクワに敗れた。
サスキ・バスコニアでプレーした著名な選手には、ヴェリミル・ペラソヴォッチ、ホセ・カルデロン、アルヴィーダス・マツィヤウスカス、アンドレ・ノシオーニ、ファブリシオ・オベルト、パブロ・プリジオーニ、イゴール・ラコセビッチ、ルイス・スコラ、ゴラン・ドラギッチ、ティアゴ・スプリッター、ミーザ・テレトヴィッチ、コルトン・アイヴァーソン、トーマス・エウテルなどがいる。
名称
クラブ名称
- 1959-1976 CDバスコニア(Club Deportivo Vasconia)
- 1976-1988 CDバスコニア(Club Deportivo Basconia) – 「バスコニア」部分の綴り違い
- 1988- サスキ・バスコニアS.A.D.(Saski-Basconia S.A.D.)
スポンサー名称
- 1983-1986 カハ・アラバ(Caja Alava)
- 1986-2009 タウグレス(Taugres) / TAUセラミカ(TAU Ceramica)
- 2009- カハ・ラボラル(Caja Laboral) / ラボラル・クチャ(Laboral Kutxa)
1983年から1986年までは銀行のカハ・アラバがネームスポンサーを務めた。1986年から2009年には、陶器製造企業であるTAULELL(タウレル)がネームスポンサーを務めた。1986年から1997年までは、TAULELLのスペインでのブランド名であるTaugres(タウグレス)をチーム名称に用いていた。1997年、別のブランド名であるTAU(タウ)を用いて、TAUセラミカ・バスコニア (TAU Ceramica Baskonia)にチーム名称を変更した。単独のチームに言及する際にはTAUバスコニア(TAU Baskonia)が頻繁に用いられる。バスコニア(Baskonia)、サスキ・バスコニア(Saski Baskonia)、サスキ・バスコニアS.A.D.(S.A.D.は日本語の株式会社に類似する用語)は、スポーツクラブ全体の名称として用いられる。2009年、スペインの銀行であるカハ・ラボラルがクラブの新ネームスポンサーとなり、後にラボラル・クチャ・バスコニアというチーム名称となった。スポンサー金額は増加し、クラブの予算増額に貢献した。
歴史
設立から1990年代
1959年、CDバスコニアのバスケットボール部門としてチームが設立された。クラブは抜群のスカウティング力と抜け目のない経営力で知られる。1971年には初めてプリメーラ・ディビシオンでプレーし、1990年代にはスペインバスケットボール界の主役のひとつに成長した。1991年には現在のホームアリーナであるパベリョン・アラバを使用し始めた。1990年代には国際試合でもその名をとどろかせ、1994年と1995年にはFIBAサポルタ・カップで決勝に進出した。1996年にもサポルタ・カップで決勝に進出し、ギリシャのPAOK BCを破って優勝した。1995年のコパ・デル・レイでは、パブロ・ラソとヴェルミル・ペラソヴィッチがチームを牽引し、クラブ史上初の優勝を飾った。1997-1998シーズンにはリーガACBのレギュラーシーズンで1位となり、プレーオフでは初めて決勝に進出したが、バスケット・マンレサに敗れて準優勝だった。1999年にはコパ・デル・レイで2度目の優勝を飾った。2000年にはビトリア=ガステイス出身の政治家フェルナンド・ブエサがバスク地方分離独立主義組織バスク祖国と自由(ETA)の活動家によって殺害される事件が起こり、パベリョン・アラバはフェルナンド・ブエサ・アレナに改称された。
2000年代
2000年に創設されたユーロリーグではすぐに成功をおさめた。エルマー・ベネット、サウリウス・ストムベルガス、ヴィクター・アレクサンダー、ファブリシオ・オベルト、若手のルイス・スコラなど層の厚いロースターを持ち、2000-2001シーズンのユーロリーグではファイナルに進出したが、イタリアのキンデル・ボローニャに敗れた。ロースターにデヤン・トマシェヴィッチとアンドレ・ノシオーニを加え、バスコニアは2001-2001シーズンにコパ・デル・レイで優勝し、さらにリーガACBで初優勝した。スコラとパブロ・プリジオーニが決定的な役割を果たし、2004年と2006年にはコパ・デル・レイでさらにふたつのトロフィーを加えた。ユーロリーグでも成功を継続し、2004-2005シーズンには初めてファイナル4に登場し、準決勝ではPBC CSKAモスクワを破ったが、決勝では前回大会王者のマッカビ・テルアビブBCに敗れた。国内に目を向けると、バスコニアは同シーズンに再びACBの決勝に進出し、レアル・マドリード・バロンセスト戦を2勝2敗で最終戦を迎えたが、残り1分37秒、69-61から劇的な逆転を許して69-70で敗れた。2005-2006シーズンには再びユーロリーグのファイナル4に進出したが、今度は準決勝でマッカビが立ちはだかった。さらに、再びリーガACBで決勝に進出したが、CBマラガにスイープされた。
2006-2007シーズンのバスコニアはユーロリーグのレギュラーシーズンで1位となり、トップ16チームによる決勝トーナメントに進出し、準々決勝ではギリシャのオリンピアコスBCをスイープした。2000年からに限れば、この試合でスコラがユーロリーグの歴代トップスコアラーとなっている。準決勝ではギリシャのパナシナイコスBCと対戦し、結局優勝するチームに敗れた。
歴代ヘッドコーチ
- ジェリコ・パブリセヴィッチ
- マネル・コマス 1993-1997
- セルヒオ・スカリオーロ 1997-1999
- サルバ・マルドナード 1999
- フリオ・ラマス 1999-2000
- Duško Ivanović 2000-2005
- ペドロ・マルティネス 2005
- ナチョ・レスカーノ 2005
- ヴェルミル・ペラソヴィッチ 2005-2007
- Božidar Maljković 2007
- ネベン・エスパイハ 2007-2008
- Duško Ivanović 2008-2012
- Žan Tabak 2012-2013
- セルヒオ・スカリオーロ 2013-2014
- マルコ・クレスピ 2014
- イボン・ナバーロ 2014-
シーズン成績
タイトル
国内大会
- リーガACB
- 優勝 (4): 2001-02, 2007-08, 2009-10, 2019-20
- コパ・デル・レイ
- 優勝 (6): 1995, 1999, 2002, 2004, 2006, 2009
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ
- 優勝 (4): 2005, 2006, 2007, 2008
- コパ・プリンシペ・デ・アストゥリアスACB
- 優勝 (1): 1985
- LEB(2部)
- 優勝 (1): 1971-72
- エウスカル・コパ(バスク・カップ)
- 優勝 (2): 2011, 2012
ヨーロッパ大会
ユーロリーグ
- 準優勝 (2): 2000-01, 2004-05
FIBAサポルタ・カップ
- 優勝 (1): 1995-96
- 準優勝 (2): 1993-94, 1994-95
個人賞
著名な歴代所属選手
NBAチームとの試合
脚注
外部リンク
- 公式ウェブサイト (スペイン語)
- Saski Baskonia ACB] (スペイン語)
- Saski Baskonia Euroleague




