須藤 時一郎(すどう ときいちろう、1841年10月16日(天保12年9月2日)- 1903年(明治36年)4月15日)は、幕末の旗本、明治期の大蔵官僚・銀行家・政治家。衆議院議員、東京府会議長、東京市会議長。旧姓・高梨。

経歴

幕臣・高梨仙太夫(仙翁)の長男として、父の赴任地、陸奥国伊達郡川俣陣屋(現福島県伊達郡川俣町)で生まれた。幕臣・須藤仙也の養子となる。父と共に江戸に帰り塩谷宕陰に漢学を、斎藤弥九郎に剣術を学んだ。評定所留役から外国方に転じ、1863年(文久3年)横浜鎖港談判使節団に加わり渡仏した。帰国後、歩兵指図役頭取に就任し、戊辰戦争では弟沼間守一らと東北地方に転戦し、奥羽越列藩同盟の崩壊により捕らえられ、江戸に護送されて監禁された。静岡藩に出仕し軍事掛附属として沼津兵学校の庶務を担当した。

1870年(明治3年)上京し、尺振八の創設した共立学舎の英語教師を務めた。1872年(明治5年)大蔵省に出仕し、同翻訳掛、同七等出仕兼紙幣寮(現国立印刷局)六等出仕、紙幣助、銀行課長などを歴任した。1877年(明治10年)に退官し、第一国立銀行顧問、第三十九国立銀行嘱託、第四十国立銀行嘱託、第一国立銀行取締役などに在任した。その他、東京貯蓄銀行監査役、東京板紙取締役なども務めた。

弟・沼間守一の嚶鳴社に加わり、自由民権運動を推進した。政界では、浅草区会議員、同議長、東京市会議員、同参事会員、東京府会議員、同議長などを務めた。1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(東京府第6区、帝国財政革新会)で当選し、その後、同志会に所属し衆議院議員に1期在任した。

国政選挙歴

  • 第1回衆議院議員総選挙(東京府第6区、1890年7月、立憲改進党)次点落選
  • 第3回衆議院議員総選挙(東京府第6区、1894年3月、立憲改進党)次点落選
  • 第4回衆議院議員総選挙(東京府第6区、1894年9月、帝国財政革新会)当選
  • 第7回衆議院議員総選挙(東京府東京市、1902年8月、無所属)落選

親族

  • 弟 沼間守一(ジャーナリスト、東京府会議長)・高梨哲四郎(弁護士、衆議院議員)

脚注

参考文献

  • 坪谷善四郎編『実業家百傑伝 第四編』東京堂書房、1892年。
  • 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。
  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 静岡新聞社出版局編 『静岡県歴史人物事典』 静岡新聞社、1991年。
  • 竹内誠編『徳川幕臣人名辞典』東京堂出版、2010年。



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須藤真一郎(すどうしんいちろう)岐阜県土岐市 一般社団法人 日本ライフオーガナイザー協会

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