文学青年(ぶんがくせいねん)とは文学を好む青年のことである。なお文学青年と言われるようになった明治時代は「少年」と「青年」が未分化だった状態から分化していく時代となっていた。
学校では東京大学予備門の学生による初期の『我楽多文庫』(1885年、硯友社派)のような回覧雑誌ないし非買本を始め、東京専門学校文学科の関係者による『早稲田文学』(1891年、稲門派)、東京帝国大学文科大学の関係者による『帝国文学』(1894年、赤門派)、慶應義塾大学文科の関係者による『三田文学』(1910年、三田派)のような雑誌が登場した。
また地方の文学青年向けでは『秀才文壇』(1901年)、『女子文壇』(1905年)、『文章世界』(1906年)のような文芸投稿雑誌が登場した。
その他、絵葉書の投稿雑誌『ハガキ文学』(1987年) も存在し、文学青年に好かれていたとされる。
文学青年に関する作品
文学青年を冠する小編では黄金冠(野中賢三)『初めて出京したる一文學靑年の日記』(『文章世界 第五巻第十六号』、1910年)、三日潮『一文學靑年の懺悔』(『新潮 第十八巻第六号』、1923年)などが存在した。
また探偵小説では1933年の夢野久作の中編小説『氷の涯』が探偵趣味の文学青年を主人公としていた。
注釈
出典




