久賀 三常(こが の みつね)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。桓武天皇の孫。三品・明日香親王の子。官位は従五位上・左兵庫頭。
経歴
弘仁9年(818年)兄・三夏を含む明日香親王の3人の子女と共に、久賀朝臣姓を与えられて臣籍降下する。
桓武天皇孫に当たる二世王であったが五位への直叙はなされず、六位を経て斉衡3年(856年)従五位下に叙爵。清和朝の貞観5年(863年)従五位上に叙せられ、のちに越中権守・左兵庫頭を歴任した。また、貞観12年(870年)新羅の入寇を防ぐために田邑山陵(文徳天皇陵)に派遣されている。
官歴
『六国史』による。
- 弘仁9年(818年) 8月22日:臣籍降下(久賀朝臣姓)
- 斉衡3年(856年) 正月7日:従五位下
- 貞観5年(863年) 正月7日:従五位上
- 貞観7年(865年) 正月27日:越中権守
- 貞観11年(869年) 2月16日:左兵庫頭
脚注
参考文献
- 武田祐吉、佐藤謙三訳『読み下し 日本三代実録 上』戎光祥出版、2009年




